心霊体験

はじまり、はじまり・・・

 これは心霊体験をすることになるとはまだ夢にも思わない、産まれた時の話です。小学校高学年ころに母から聞いた話です。

 現在はもうありませんが、私は水上産婦人科というところで産まれました。

 母にとって、私が初めての赤ちゃんでした。母は私を初産で産んだため、分娩に時間がかかりました。
 が、原因はそれだけでなく、私の首にへその緒が2重に巻き付いていて、私は息をしていない仮死状態で産まれたそうです。
 産科のお医者さんが私を逆さ吊りにし、バンバン叩いたそうですが、いつになっても声も出さず、母は『ああ、全然泣かない。赤ちゃんダメだったんだ・・』と分娩台の上で思ったそうです。
 しかしお医者さんがあきらめずに叩き続けてくれたおかげで、私は呼吸をし始め、やっと産声をあげたそうです。とても大きな赤ちゃんで、3800g以上あったそうです。

 時は流れて、私が31歳頃の話です。大人になり、ある時期、ご縁があり、見えない存在と意思疎通の出来るかたと一緒に仕事をする機会がありました。そのかたがおっしゃるには、

「この世に産まれおちた時に、魂の存在から人間になる。仮死状態で産まれた人のなかには、あの世とこの世の境があいまいなままで、あの世のものが見えてしまうひとがいるよ。あなたはそれだね。」と言われたことがあります。


 この言葉は私を安心させ、納得させてくれました。それまで、自身の心霊体験を一人で我慢し乗り越えてきたからです。ああ、良かった、自分は変じゃなかった、仮死状態で産まれたせいだったんだ。と妙に腑に落ちました。

初めての心霊体験

 初めて、自身の『心霊体験』に気づいたのは、小学2年生の時でした。

 私の家は、湖のほとりでキャンプ場を営んでおりました。母屋には祖父母が住み、売店と食堂がありました。父は会社へ行き、祖父母と母で仕事をしていました。
 
 夏などの繁忙期は、離れの住まいで宿題をやったり絵を書いたりして、夕方になったら母屋へもどるようにしていました。

 夏の終わり、いつもどおりに絵を書いたり本を読んだりして離れの家で時間を過ごしていましたが、その日は絵を書くのに夢中になって、気づいた時には日が沈んでいました。
 弟は母屋か外で遊んでいたのか、離れにはおらず、私はひとりぼっちになっていたことに気づきました。

 母屋までは木が繁った暗い庭を通らないとなりません。母が忙しい合間をぬって私を連れにきてくれるのを待っていましたが、その日はとても忙しかったようで、まっくらになっても誰もきませんでした。

 離れはキャンプ場から1番遠いところに在り、庭といってもそもそも山の中なので、杉やひのきなどの高い木々や、庭にも大きな木や植木がたくさんあり鬱葱と暗く、外灯は薄暗い庭の階段のところ1か所だけでした。

 小学2年生では怖くて怖くて、とても1人では母屋に戻る勇気は出ず、お腹もすいてきて心細くなってしまいました。

 と、その時です。タン!タン!タン!と中庭のコンクリートの階段をこちらへ走ってくる音がしました。

 かなりのスピードで走っており、音からして大人だとわかります。

この暗い庭を、あんなスピードで走れるのは、母くらいのものです。

母は当時28歳です。祖父は明治、祖母は大正、父は戦時中の生まれですから、走ってくるなら間違いなく母だと思いました。

やっと母がきてくれた・・・。ホっとしました。

 離れの家の玄関の引き戸がガッシャンと開け、板の間を上がり、畳の部屋に入り、TVをつける音と部屋のあかりをつける音がしました。
 きっと母はまだ店の後片付けがあって急いでいるんだ、と気づき、安堵と共に、怒られるかもしれないので、

あわてて「ママ!」とTVのへやの戸を開けました。

 ギョッとすることに、明かりとTVがついているはずの部屋は、真っ暗やみで、シーンとしていました。人の気配すらありません。暗闇と冷たい空気だけがその部屋を支配していました。

 じゃあ、さっき外から走ってきたのは誰・・・?あまりに怖くて声もでません。「おかしい!へんだ!」幼いながらに、つい今しがた、聞こえたり感じた事柄は、この部屋の様子からして、あり得ない事だったんだとすぐ理解しました。

 さっきまでは塗り絵などで寂しさを紛らせていましたが、もうそれどころではありません。確かに走ってくる足音が聞こえ、その人物が玄関を入り小上がりの板を踏んで、家に上がった時の板のきしむ感じや、TVに向かって畳を歩いていた振動など、あれは何だったんだろう?

 ベッドにはいって布団をかぶり、その事を忘れたくても怖くて忘れられません。「どうしよう、どうしよう」と頭から布団をかぶり、ふるえていました。涼しい山なので、夏でも朝方は寒いことがあり、布団があって助かりました。



 どのくらい時間が経ったか とても長い間、家族の誰かが来てくれるのをひたすら待っていると、また階段から走ってくる足音がしました。
 引き戸が開く音がし、板の間を通りこちらの部屋の戸を開けたのは、やっと仕事にひと段落ついて走ってきた母でした。
 板の間からすぐ子供部屋へ歩いてきて、「何してるの!もう9時だよ!明るいうちにどんどん母屋へ来なきゃダメだよっ。」と、怒られましたが、来たのがお化けじゃなかったのが有難くて、有難くて・・・。  

よく考えてみると、私をつれにきた母が、離れに来て1番にTVをつけるわけが無いのです。まだ仕事も残っているし・・・。
 考えれば考えるほど変なのです。もし走ってきたひとが観光客か、うちの庭に入ったことがあるひとだったとしても、慣れないひとが走って来られるような造りではないのです。
 あの庭は塀や高いフェンス(鍵付きの門)で囲われており、観光客が入れないようにしてあったのです。普段も誰も離れまで間違っても入ってきません。

  階段へたどり着くまでも、慣れないと滑りやすい石畳で、さらにその石畳を走ってこないと、例の階段から急にあのスピードで走りだすのは不可能なのです。

 そもそも、薄暗い外灯ひとつでほぼ真っ暗な、あの庭を走れるひとなど本当に当時は母くらいしかいなかったのです。そして母に、さっきあったことを話しましたが、全く取り合ってもらえませんでした。

暗闇を早く歩く足

話せない孤独

 この、『取り合ってもらえない』というおそろしい対応は、この後、何年も続きました。取り合ってもらえない、話を聞いてもらえない、信じてもらえない。
 人によっては、嘘つき扱いです。

病気じゃないかと心配してくれたりした人もいましたが、これは幼い私の心を傷つけると同時に、怖さとひとりで戦わなければならない孤独の始まりでした。
 家族にも、親戚にも、友達にも、誰にも話せる相手がいないというのは、なかなかしんどいのです。

ひとことで良い

 もし、あなたの身の回りに、そのような事を話してくるひとがいたら、ただ聞いてあげてください。そこに改善法や対処法などありません。「そりゃ、怖かったねぇ。」で、いいのです。

2匹の蜂が、ミントの葉に実を結んだ小さな白い花の蜜を仲良く吸っている

 

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