派遣切りに遭った。令和元年夏。

2年4か月目の悲劇

自然 観光地 
自然 観光地 

この職場は、私の好きな接客業なのに『土日祝休み』だった。

ここの前に働いていた会社は真っ黒なブラック企業。

正社員だったが、当日解雇という不当解雇に遭った私だったが、解雇された帰り道に、登録していた派遣会社からたまたま電話がきた。

営業電話だったのだろうが、ぴったりなタイミングだった。

シングルマザーが突然仕事を失うのは厳しい。

こうして、不当解雇に遭った1週間後には、派遣で土日祝休みの接客業の仕事に就くことが出来た。

仕事は観光施設で、山奥の高原地帯。
人数は30人から40人位の人数でまわしていた。

正社員は40人のなかに3分の1程。あとはパートとアルバイト、派遣は私を含めて2人だ。



どんな仕事も、最初は慣れるまで大変だ。

観光施設の案内・受付はお金の扱いから電話対応、予約受付、旅行会社とのやりとり、園内施設の各部署への連絡、各メディアの雑誌や撮影に関する事など、終わらない仕事が山盛りだった。
各部署からコピーの依頼やチラシの仕分け・配送など、数えきれない。

ただ、やり甲斐はあり、楽しく過ごせた。

問題は、職場の皆と違って、私は期限付きという事。


私はシングルマザーだから、私が働かなければ野垂れ死にだ。

正社員の前職を追われ派遣になり仕事もやっと覚えたが、それでも終わりが来るのだ。

パートやアルバイトの時給では子供とふたり、暮らしていけない。

どうせ同じ時間を過ごすなら派遣か正社員でないとやっていけない。


正社員の間口はせまい。

狭いうえ、これでもかと時間も体力も搾取される上に給料は一向にあがらない。

派遣も正社員と同じことをやっているのに、時給はあがらない。ボーナスも無い。色々無い。

その上突然解雇されるのだ。
(ブラック企業の正社員も突然解雇でしたが。)




そして、その日は突然やってきた。


派遣先の担当者が突然やってきた。

あれ?今日、担当者くるなんて聞いてなかった、、私にクレームだったらどうしよう。

そう思いながら仕事をしていると、30分~40分して担当者が来た。

「ちょっとだけ話せますか?」

外へ行き駐車場で、派遣先から派遣を打ち切りたい旨お話がありましたと聞かされた。
え・・・ 3年を目前にして。

足元から世界が崩落しかけているのを感じた。

こんな時給1100円のちっぽけな私の世界。

それでも私の食い扶持の仕事。

やっと色々覚えた仕事。

「大丈夫ですか?」
と、担当者。

「とりあえず、つなぎで、どこか入れませんか?」
あわてて聞く私。

「ありませんね。うーん、1軒あるにはあるんですが、残業毎日って所なんです」

気・・・ 気を確かに 私 動揺・・・動揺している。

「わかりました。では仕事に戻ります」

つとめて明るく言い、仕事に戻った。

担当者もなんか気まずい顔しちゃってるし・・・

仕事に戻ると、隣の席のパートさんが仕事していた。

いつも彼女のお陰で仕事も良くまわっている。

「私・・・次の8月15日で終了です。今、担当者から聞きました。お世話になりました、なんか急ですけど・・・」

「えっ。何かの間違いじゃなくて?えっ?」

パートの彼女も急な事に驚いている。

その日はいつも通りに仕事をし、事務所のロッカーから荷物を持って帰った。

帰り際、いつも目が合う事務所の正社員が露骨に顔を背けている。

気まずいんだろうが、それは無いよ・・・

家に着くころには、ただ疲れと心にぽっかり穴が開いたのを感じた。

最後の日まで出勤する苦しみ

前の職場は不当解雇、次の仕事は派遣切り。

『あなたは要りません』

といわれたのだ。

個人的な話ではないのかもしれないが、やはり傷つく。

自己嫌悪や自己否定はしたくないが、劣等感に苛まれる。

昨日までは普通に通っていた職場なのに、みんなが

「あの人解雇(笑)」

って噂してるんじゃないかって被害妄想が頭をよぎる。

足早に自分の席へ着き、いつも通りに仕事を始める。

ーーー虚無感。

もう1か月半でいなくなるのに、私はここで何のために何をしてるんだろう。

やる気が出ない。

効果音で例えるなら『しーーーん』といった感じだ。

こんな日があと1か月半以上続くのか・・・

一抹の面倒くささも感じる。

就職氷河期が強制的にまたやってきた。




休憩時間はindeedなど求人サイトから応募しまくる日々。

時間さえあれば求人を探す。

あと1か月半の間に正社員で入れるところ・・・

そんなに都合よく求人は無い。なんせ地方で工場ばかりだ。

せめて有給を使って面接に行きたいところだが、年齢も40歳。

なかなか面接までもたどり着かない。

こんな辛い日々がさらに、辛くなるのだ。


正社員が、

「いろんな資料はわかりやすいようにパソコンに整頓して周りの人に引き継いでおいて下さい」

にっこりと素晴らしい満面の笑顔だ。

どういうつもりでその笑顔なのか。

派遣切りを伝えられたあの日から、正社員は目を伏せて私を見ないようにしてきたのに。

苦しんでいることなどお構いなしに、周りのパートさんに仕事を全て引き継げと言う。

こんな辛辣な日々が、派遣切りを伝えられた日から終わるまでの51日も続いた。

笑い面 泣き面
笑い面 泣き面

派遣は仲間外れ

思えば、派遣してこの職場にきたころは、不当解雇からまだ1週間だった。

労基署でも、不当解雇だとお墨付きをもらい、戦いますか?と聞かれたり、尋常な生活とは言い難い状態だった。

そんな中、

『歓送迎会』やります。

と誘われたのだ。

嬉しかった。単純に嬉しかった。

実家に息子をお願いし、7:00~9:00の時間帯で歓送迎会なるものに参加した。

席は、新しく入った人の列の2番目に座ることになった。

1番目の人が自己紹介をし、座る。

次は、私を飛ばして3番目の人が自己紹介をした。

そしてそのまま今月で辞める人のところまでいってしまった。

元々、派遣に自己紹介をさせるつもりなんか無かったのだ。

各部署に電話連絡をする受付なので、短時間で名前だけでも自己紹介したかった。

そして、新しく入った人と送られる人はもちろん無料だったが、私は会費を徴収された。

思えば最初からこうで、一事が万事、仲間外れだった。

派遣はいじめ用サンドバッグなのだ。

同じ人間で、同じところで働いていても、

『派遣会社』から来ていたら、

頭が痛くて目の前に常備薬があっても、
「買いにいきますか?」
と聞かれるのだ。

観光地だから、ドラッグストアまで行って帰ってきたら30分じゃきかない。

そんなこと、無理なのに買いに行くか聞くのだ。

アルバイトやパートさんなど直接雇用の人達が腹痛と言ったら、すぐに薬箱から薬を持ってくる正社員。

いじめたくて雇ったのか?と疑ってしまう日もたくさんあった。

そして不要になったらポイだ。

散々だ・・・

段ボールのロボット 孤独 投影される自己
段ボールのロボット 孤独 投影される自己

ハローワークの暴言

こんな日々でも、仕事場の人数が足りている日には有給をとり仕事を探しに行く。

なかなか田舎では仕事が少ないので隣の市のハローワークに行った。

ハローワークに行く前には、応募しておいた町金と損保の2軒に履歴書を持っていく用事を済ませた。

ハローワークは様々な種類があるが、地方なので『就職氷河期』専用の窓口は無い。

探すと『キャリアデザイン支援』というのをやっているハローワークが見つかった。

とにかく、間を開けないように次の仕事が欲しいので、支援と聞き嬉しかった。

席に通され、こういう支援があることへの感謝を伝えた。

キャリアや希望について説明し、

・接客業しかやっていない

・すぐぎっくり腰になる

・小学生の息子がいるので土日休みが希望

と伝え、しばらく待った。

そして30代前後の若い相談員は戻ってきてこう言った。

「あなたは仕事を選んでます。ワガママです。介護や工場なら求人はいくらでもでているんです。」

工場は行って2か月で3回もぎっくり腰になり、困るし迷惑をかけるのがわかっている。

介護は知識も経験も無く、全くの未知の職種に40歳になって突然?介護?

私は帰り道、悲しくなって涙があふれた。

少しでも仕事が見つかるかもと期待した自分が情けなくなった。

40代ニートの意味を知る

非正規雇用、しかも派遣切りは3年直前で起きやすい。

理由は2015年に施行された派遣法。

派遣切にあわないように、同じ職場で3年超してら正社員にする、という法律だ。

この法律のお陰で、直接雇用を避けるために3年直前で派遣を切るのだ。





そんな3年ごとに雇されていばいつしか40歳になり、その妙齢で解雇される事が起こるのは偶然でも何でもない。




私は次の仕事が見つからないまま、あの派遣を終えた。

派遣はもうコリゴリだから、派遣会社などを頼らず就活することにした。

そして雇用保険をもらいながらハローワークで仕事を探している。





努力の甲斐無く、私は失業し、『失業者』になった。





こうして心が折れて、ニートになってしまう人も多くあるのではないか。

私は今まで40代以上でニートが日本に何万人いるなどのニュースを見聞きし、何故だろうと思ったものだが、今になってようやく分かった。






件の派遣先では、散々歓送迎会に呼ばれ金を払ったのだが、

もちろん私の時には送迎会など無かった。

送迎会どころか、辞める当日になっても私が辞める事を誰も知らされていなかったのだ。

社会からこんなイジメを受けるはめになるとは、しかも40歳で。

一生懸命働いたのが馬鹿みたいだ。



職場見学の時に正社員にこう聞いた。

「正社員になれる可能性はありますか?」

正社員はこう言った。

「可能性はあります。」

可能性はあるだけで、正規雇用する気はさらさら無かったのが、今になるとわかる。

ウソをよくつく正社員だった。

口癖は『言わなきゃわかんないのに』だった。

この正社員がイヤで辞めた人もたくさんいたっけなぁ・・



『正社員になる可能性あります』

と言いながら、新卒の人をアルバイトとして雇い、ろくな教育もせずに『あの子は出来ない』と言い、また正社員の募集を出した。

それを見たアルバイトの人は、
「この2年なんだったんだろ」
と言って、東京へ行って就職した。

私も同じ手で釣られて、40歳までの2年4か月を棒に振ってしまった。

馬鹿だなぁ・・・



就職氷河期の私

南極 ペンギン
南極 ペンギン

就職氷河期とは、1993~2004年に学校卒業を迎えた世代を指す。
高卒だと1975~1985年頃生まれ、大卒だと1970~1980年頃生まれ。

私も例にもれず、就活をしましたが、50社受けて50社落ちた・・・。

就職説明会などにもたくさん行きましたが、隣に座っている人なんてすごい高学歴、ハイスペックな大学を出てくるようですが、ここの説明会に来るんですか?
と聞きたくなるような会社なのです。(悪口ではありません。)

私は短大卒で、高卒よりお給料を払わなければならない上、大卒のように需要はない、なんなら高卒のほうが低賃金で雇えるし若い、就活にはそんな空気が漂っていた。

私の友達は、国立大学2年だったので就活はまだ先と言っていたが、結局、氷河期はすぐには終わらず、大学院へ行き、その後それでも就職先は決まらずだった。
しかし彼女の場合は特殊な資格を複数もっているため、本を出版したり大学で教鞭をふるったり、NPOでの仕事や新聞へのコラム、講演会に呼ばれるなど、非正規ながらワーキングプアとは一線を画した生き方をしている。

他には、あの賢い有名な京都で1番の国立大学を出てサイエンティストを目指していた友達がいたが、結婚を機に母親になり、住んでいるところも変わると、
「サイエンティストどころか、非正規で数学を教える羽目になってる」
と近況を教えてくれた。

国際文化学科の短大なぞを出た私が、才媛の彼女たちを押しのけて正社員になれるなど、誰が思うだろうか。

この才媛たちですら現在も非正規なのだ。

2002年に、たまたま知り合いのツテで大手化粧品会社に入社したが、2か月更新の有期契約社員だった。

そこで12年半、頑張った。

ボーナス無し、昇給無し、制服無し。



毎年、新卒で入社してくる若い人を見ると思った。

もう経験もある契約社員から毎年正社員をとってくれたら良いのに。

新卒って、なんだ?

そんなに新卒は重宝ですぐ役に立つのか?

どんどん昇給し、制服も有り、ボーナスもある。



なんで 私は 契約社員 なんだろう。


本当に悲しかった。

新卒でも就職先が無かった時代に、就活生だった私。

日本人で知らない人が無いほどの大手企業に、契約社員としてでも職を得た。

正社員ほどでは無いが福利厚生はとても良い。

ここを辞めて他を正社員で探すなんて、怖くてとてもできなかった。

あの地獄の就活、毎日、毎日、落とされる。

自分はダメ人間なのか、自己肯定感が全く無くなる、あの就活の日々。




子供が小学校へ上がる時に、この大手化粧品会社に別れを告げた。

土日休みじゃないと、預け先が無いし、小学1年生って昼には帰ってくる。

学童に迎えに行けないほど私の仕事の帰りは遅い。

キャリアもへったくれもなかった。

給与が在籍した年数並みに上がっていたら辞めなったかもしれないが、12年半もいた会社の最後の月の手取りも13万円ほどだった。

帰り道、有期契約社員の皆ともさっぱりしたものだった。

有期契約社員も、社内では『正社員じゃない・仲間というより使い捨ての兵隊』という立ち位置だ。


思えば、仲間外れな人生だ。



かくして私は35歳になっていたが、またも就活を始めることになった。

人並の幸せは遠い

ペンギン
ペンギン

失業したので、雇用保険をもらうことになった。


1か月に1回認定日というのがある。

その日までに最低2回は求職活動をした、という実績を持っていくのだ。

この認定日に手続きが出来ないと、雇用保険が出ないので必ず行くのだが、

2か月目の認定日の時に、就職先が無い不安から、最後の手続きの窓口で、涙があふれて止まらなくなってしまった事があった。

みんな、様々な理由でハローワークに求職しに来ているのだろうが、ここに来ると敗北感を感じていたたまれなくなる。

派遣切りを伝えられてから、51日出勤した間、実はかなりストレスだったんだろうと思う。ストレスは、怪我と違って傷の深さも見えないし、治ったのか重症化したのかも、わかりにくいのだ。


3回目の認定日に、相談員に自分の条件などを相談していると、家から近い案件があり、面接に行くことにした。

求人表を見ると、条件がなかなか良かった。

・家から5分のところにある(労働場所もそこだと明記してある)
・月給21万~48万(頑張れば上限がここまで高いなら頑張れるかな)
・賞与4か月分
・仕事内容 ノルマ無し、飛び込み無し、保険の種類を説明する営業
・正社員としての募集

など。

HPにも、人として良くあり、お客様に接していく理念など書いてあった。

母子家庭はハローワークからの紹介で就職が決まると、
その就職先に支援金として約60万円ほどが渡されるので、
頑張れば就職できるかもしれないよ、
とハローワークの職員から聞かされた。

それほど、母子家庭は仕事を得にくいのだ。

面接に行き、挨拶を済ませて、郵送しておいた履歴書を社長が見ながら面接が始まった。
改めて仕事内容を聞くと、求人票と全く違う事を言っている。

・最初の1年間は隣の市まで通勤し損保の勉強をする
・年に何回か泊りで研修があり、他県まで行く事になる(3県先です)
・飛び込みは出来る?と何回も聞かれる
・友達の人数を聞かれる(損保会社に入社した旨、手紙を書くことになる)
・何故、転職回数が多いのか聞かれる(氷河期は転職せざるを得ないのですが)
・営業だから休みも夜も事故があれば現場へ行ってもらうとのこと
・車は自分の車を持ち出しでやってくれとの事(賞与は車のメンテで飛ぶであろう)

しまいに、
「ハローワークで、介護や生産(工場)の求人は出てなかったのか」
と聞かれる。
どう見ても私の履歴書からはその職種の経歴は見てとれないのだが・・・

私は面接に来ただけで、失礼な物言いをされる筋合いは無いし、もし働きだしたらこの調子で色々やらされるのだろう。

求人票に記載の場所と実際の就業場所が違うのは、前の前のブラック企業もこのようであったのを思い出した。

ブラック企業がはびこっているのを感じた。

キャリアデザイン支援のあるハローワークでも、介護と工場を勧めてきたが、いままでの知識を活かした職に就きたいと考えるのはおかしいのか?と真剣に疑問に思ってしまった。


こちらからお断りしたが、また、就職はできず、『失業者』から抜け出せない。


私を採用した時点で60万も国から補助金が出るのに、それでも『介護・工場』を示唆されると、

もう40代なんて雇い入れる会社なんてあるんだろうか

と暗い気持ちになった。

せめて、介護の仕事の経験があるとか、知識があるなら勧められるのも理解できるが。


就職氷河期に就活だったおかげで、本当に、この20年を失った実感がある。

40歳で、また1から就職、給料も1から、
というより、

22歳から12年半勤めた会社だって、1から先へ進んでなんかいなかったのだから。マジメに働いて実績も出して来たのに。

この先をどうして生きていけばいいのだろう、こうして40代引きこもりになってしまうのだろうか。

就職氷河期を味わった事の無い世代から、

「派遣なんてやめて、ちゃんと働いた方がいいよ」

と言われることがある。
(上の世代からも、下の世代からも)

派遣以外のパート・アルバイトの時給では食べていけないし、

正社員になろうにも、

この人生で何十社と落とされてきたのだ。


これ以上、傷つきたくない。


どうにかしなければならないのだが。


派遣になりたくてなったのでは無い事を知って欲しいし、説明をするときは辛い思い出も脳裏に浮かぶ。


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