ようこちゃんの話
大正生まれの祖母の体験談です
私が育った山の中の話です。
私の家族はキャンプ場の管理人をしていて、明治生まれの祖父と、大正生まれの祖母がその仕事を始めた頃の話です。

柔道部の合宿
湖のほとりにあるキャンプ場で管理人をやっていた祖父母の、とある初夏の出来事です。昭和30年~50年の間の出来事です。
男子学生たちと先生、女子の世話係で総勢15~20名くらいの柔道部の合宿がキャンプ場に数日の滞在予定で来たのだそうです。
世話係の女学生の名前は『ようこちゃん』といい、とても可愛らしい学生さんだったそうです。祖母にどんな漢字だったか聞きそびれていて祖母は他界したので確かめられません。ただ、祖母はこの話をしながら、いつも、湖には入るんじゃないよ、と私に言い聞かせていました。
ようこちゃん達の柔道部が滞在して何日かで、祖母はようこちゃんの人柄が良く、祖母の言葉で言うと「器量良しの働き者」なので、いろいろと祖母も世話をしてあげたくなったそうです。よく気の付く学生で、何かといっては祖母の所へきて、柔道部に貢献していたそうです。
部員達がようこちゃんの異変に気づき、一人の男子部員があわててバシャバシャと腰まである深さまで行き、ようこちゃんの腕をつかんだのです。すると、その男子部員がまた、他の部員に助けを求めて騒いだそうです。
それを聞きつけた他の数名が急いで湖へ入り、ようこちゃんの両手を引っ張っている男子学生の腰にしがみついたそうです。祖母は、明らかな異変を感じ、先生や他の学生に伝えようと、大きな声で皆を呼んだそうです。
柔道部の猛者4、5人がかりでひとりの女学生を引き戻せないという、おかしな光景は祖母の目にも異様だったそうです。
祖母は「早く早く!おかしいよー!」と大声を出していたそうですが、みるみるうちにようこちゃん達は肩まで湖に浸かってしまい、いよいよようこちゃんがみえなくなり、男子部員も岸へ戻ってきてしまったそうです。
それは突然に
数日後、柔道部が午前か午後の明るい時間に、遊びの時間を設けたそうです。柔道部の学生達は喜んで、楽しそうにしており、そのうち数名が湖の浅瀬で遊びだしたそうです。祖母は、「この湖は『底なし沼』だといわれてるから、入らないほうがいいよ」と注意したそうです。(実際、現在でも体ひとつで飛び込むような人はおらず、この湖は皆、ボートでしか入らないのです。湖には、私が小さな頃には『遊泳禁止』の看板がたっていました。)
ただ、学生は「先生も許可している」と言うし、その当時はまだ、プールなど無い田舎だったので地元のひとの中には泳ぐひともあったそうで、祖母は見ているしかなかったそうです。
しばらく経つと、柔道部の遊んでいる浅瀬から大きな声がしたので、祖母が目をやると、ようこちゃんが後ろ向きに、湖へはいっていくのが見えたそうです。足元が柔らかい底なのに、なんだかおかしいなと思って表へ出て注意深く見ると、ようこちゃんは浅瀬の柔道部員に助けを求めて両手を差し出し大きな声を出していたそうです。
その時のようこちゃんの足元の水の深さはひざ下で、部員達は、ようこちゃんがふざけていると思ったようです。しかし、ようこちゃんは騒ぎながら、だんだんと後ろへ進み、腰まで湖に入ってしまったところでやっと部員達も『何か様子がおかしい』と気づくのです。

湖からあがってきた学生の所へ駆け寄った祖母がようこちゃんはどうしたのか聞くと、助けに行った男子学生はガタガタふるえていたそうです。
ようこちゃんを助けに行った時・・・ 学生はようこちゃんがふざけていると思ったが、ようこちゃんの顔は真剣で、こんなふざけ方は妙だと気づき両手をとったら・・・ ようこちゃんは湖ひざまで入っているにも関わらずとんでもない力で後ろ向きに後ずさりしていたそうです。学生は驚いて、仲間に助けを求め、仲間が来て4,5人がかりで引き留められなかったそうです。物凄いちからに引きずられ頭まで潜ってしまうまで、皆で頑張ったにも関わらず助けられなかった・・・
記憶からは消せない
祖母はこの一部始終を目撃したのです。日中に起きた出来事で、初夏の、天気の良い日の浅瀬です。どう考えても、おかしい事だと祖母は話しました。
ようこちゃんの遺体は後日みつかったそうです。この湖の底には水の流れがあり、南側の桟橋の先に必ず遺体が流れ着く箇所があるのです。例によって、ようこちゃんの遺体もそこに流れてきたそうです。
この湖はダム湖のため、湖の西に水門があるのですがその水門が開いたわけでもなく、ひざ下程度の浅瀬でしかも後ろ向きに男子柔道部員を何人も引っ張って、溺れる・・・ そんな不自然な事が目の前で起き、目撃者も多数あったのです。
「おばあちゃんはね、恐ろしかった、何が起きてるかわからなかった。でも、あれは何かが引きずりこんだ、そうとしか見えなかったよ。かわいそうに、ようこちゃんの事はおばあちゃんは一生忘れないよ。」
大正時代の後期に生まれ、平成の中頃の秋に祖母は他界しました。一生のうちには、こんな恐ろしい出来事が起こってしまうものでしょうか。この事件の真相も、もう明らかにはなりません。
